揺さ〜山陰の客車ドン行

 1983年、初めて山陰地方へ旅しました。
大阪駅から乗った客車のスピーカーは福知山線の駅名と到着時刻を告げています。
「福知山より先の時刻はまた改めまして・・・」
終着出雲市が遥か遠くに感じられました。 
(2005.12.1 UP)





そして最初の予定地、武田尾で途中下車しました。
当時はDD51にも旧型客車にも全く興味無かったのに。

これがその後の山陰通いの第一歩となりました。





とても暑い日だったのを覚えています。
川遊びしていた少年達が手を振る。
機関車と乗客たちがそれに答えていました。


1983年8月 生瀬〜武田尾





武田尾での撮影後、再びドン行で次の目的地「餘部」へ。
車内はニスの独特のにおいがしました。
右端はオハニ36です。
浜坂港の行商人専用でとても魚臭かったです。
電化工事前の福知山駅は広々していました。

1983年8月 福知山





舞鶴線や小浜線にも客車ドン行の設定がありました。
除雪機DE15が夏のアルバイト。
ところで、福知山局内で見かけた緑十字の箱、一体何なんでしょう?

1983年8月 西舞鶴








翌年夏、18切符で再び関西へ。
今宵の宿は「山陰」の座席車。
初期型44号機だったので早速三脚の足を伸ばす。
夜中に折り返して翌晩は新宮行きドン行の車中の人となりました。
今ではとても無理です。

1984年8月 福知山




さらに半年後。
寝台車が無くなるというので奮発して乗ってみました。
福知山からはなんと重連!
それも総括制御をせず2台とも機関士が乗り込んでいます。

ベッドは同好の士で占められ、開けた窓から聞こえてくるDDの鼓動。
真夜中でも小さな駅にひとつひとつ停車していきます。
静寂の後、汽笛が二つ間を置いて聞こえ、また出発。
一晩中この繰り返し。
旅情あふれた最高の一夜でした。




1985年1月 福知山








この橋を渡る時はデッキの扉を開け下を眺めました。
(ちょっと危険でしたね。時効ということで)
悲しい事故が起こったのはこの年の暮れの事です。

1986年3月 餘部

 


1986年3月、浪人生の立場に。
DD51を1番夢中で追いかけていたのもこの頃です。
今となっては随分親不孝をしたものだ、と思います。



福部〜滝山(信)/大岩〜福部





乗っていた列車がスイッチバックの引込み線に入りました。
時刻表を見ると、「白兎」と交換しそうです。
さっそく降りて、機関士の死角になる位置から撮影。
これも時効と言うことで・・・。

滝山信号場





大きな駅では長時間止まって特急に先をゆずります。
音が遠ざかっても、しばらく排煙が漂っていました。




1985年1月 鳥取/1983年8月 豊岡









冷たい雨が降る関金駅の朝。
撮影後、温泉へ行って朝風呂を楽しんだっけ。

倉吉線はこの2ヵ月後、ひっそりと廃止されました。


1985年1月 関金





客車は2両しかないので余った暖房用の蒸気を吹き上げています。
冬の旧型客車ほど、温もりを感じる車両は無かったです。








1985年3月、全国から忽然と旧型客車が引退。
残ったのは山陰と函館本線の一部のみとなりました。
編成も短くなり、茶色の客車も殆ど見かけなくなりました。
青い客車に時々茶色の車両が混ざるのがドン行のイメージ。
今JRに残る旧型客車は茶色ばかりなのは違和感があります。
贅沢な希望ですが。




1986年1月 由良/松崎





山陰の旅のハイライトは出雲市を過ぎてから。
残念ながら旧型客車の写真はこれしかありません。
乗ったのも50系時代になってからです。

1985年1月 小田〜田儀





あれから20年。
車両は随分変わってしまいましたが、風景は当時のまま。
少なくなったDD51を追う自分もあの頃の気持ちのままです。




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